集まったり、散ったり
伏義と女媧です
生きている人のからだというのは、絶えず、
流れる水のように様々な流れが
動き回っています。動きがとまると、
たとえば横に臥する時間の長い高齢者などで、
褥瘡ができますね。
絶えず集まってきたり、散っていったり、
そらの雲のように変化、変容を
みつめてゆくと死体の観察からの
解剖学ではなく、生理学がうまれます。
植物のつるの発生の動きや人間の腸や血管の
走行する流れなど、ゲーテの渦巻きもそう。
もっとゆえば、天文学にも
つながっていきます
音楽もそう!
硬い固定された私のからだから、
流れるわたしのからだへ
医学のようなアートのような、もちろん
フロイトのいうカチッとどこかにフォーカスす
るのでない、流れるような意識のありかたも
流れる柔らかい心身(karada)かもしれない
そう、「気」といってしまえば楽なんですが