難経6 部分と全体
脉有陰盛陽虚.陽盛陰虚.何謂也.
然.
浮之損小.沈之實大.故曰陰盛陽虚.
沈之損小.浮之實大.故曰陽盛陰虚.
是陰陽虚實之意也.
脈の陰陽虚実をのべてますね
1難から6難まで進んできて
脈の空間的なイメージを随分喚起させられ
ますが、果たしてその空間や時間は
現代のメジャーや時計の針が刻む
時空間に重ねてよいのだろうかと
立ち止まりたくなりました。
臨床家の実感からいくと
寸口という場所を選んだことは一つの特徴
で、舌でも腹でも、背中でも人迎でも
部分から全体をみる
というのがそのはいごにあり
難経を読みすすめる上でこの考え方、とらえ
方を本当にわかっているのか、納得がいって
いるかを深く内省してみたいです
難経5 肺から腎縦のイメージ
(Wikipediaより)
脉有輕重.何謂也.
然.初持脉
如三菽之重.與皮毛相得者.肺部也.
如六菽之重.與血脉相得者.心部也.
如九菽之重.與肌肉相得者.脾部也.
如十二菽之重.與筋平者.肝部也.
按之至骨.擧指來疾者.腎部也.
故曰輕重.
骨から皮膚までの広がり、空間を
寸尺のヨコではなく
縦のイメージを意識したいです
難経4の⑤補足
脉有一陰一陽.一陰二陽.一陰三陽.
有一陽一陰.一陽二陰.一陽三陰.
如此之言.寸口有六脉倶動耶.
然.
此言者.非有六脉倶動也.謂浮沈長短滑濇也.
浮者陽也.
滑者陽也.
長者陽也.
沈者陰也.
短者陰也.
濇者陰也.
所謂
一陰一陽者.謂脉來沈而滑也.
一陰二陽者.謂脉來沈滑而長也.
一陰三陽者.謂脉來浮滑而長.時一沈也.
所言
一陽一陰者.謂脉來浮而濇也.
一陽二陰者.謂脉來長而沈濇也.
一陽三陰者.謂脉來沈濇而短.時一浮也.
各以其經所在.名病逆順也.
心、肺、肝、腎、脾ときてつぎは
6の脈のはなしへ
ここは易の八卦みたいですな〜
もうこれイメージできるかどうかが大きい
難経 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E7%B5%8C
この時代、場所の人間の感覚は推測するしか
仕方ないですが、大陸の文化にある
幾何学的なカテゴリー、いわゆる東洋哲学
(陰陽五行、八卦)がそのベースにあり
そこから脈のイメージをカテゴライズして
いるのはたしか。
時間も空間もこの東洋哲学という名の、
神話、形而上学を基盤にしながら
キャッチした、たとえば脈の情報の差異を
分類し構築してゆく
もしかしたらそこには1、一の道の思想や
老子道徳経 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90%E9%81%93%E5%BE%B3%E7%B5%8C
易経 - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E7%B5%8C
なども当然土台をなしているわけで
陰陽という2のパターンを
陰と陽がそれぞれ
1と1、1と2、1と3のパターン
たとえば昼と夜がきれいにわかれる
ともいえますね
脈を言語に落とし込んでいるその背後には
循環する1(イチ)、道があり、
水の流れが朝なのか昼なのか夜なのかを
春なのか夏なのか秋なのか冬なのかを
みている眼差しがあるのです
夏の終わり 牛が疲れている?肝の脈
昨日の患者さんですが、
難経四難の肝の脈を沈めてみると
牢して長が弱くて(簡単に抑え込める)
肝が疲れてるなー
という感じでお話していると
「先生あかんわー最近体がだるくて
やる気がわかんわー」
とのことでした
さて肝をどう元気づけようかと
いろいろかんがえた日でした
難経4その③補足 肝腎、沈めてどうちがう?
腎肝倶沈.何以別之.
然.
牢而長者.肝也.按之濡.擧指來實者.腎也.
アネロイド式血圧測定法で
聴診でなく触診法で橈骨動脈から
収縮期血圧を測定することがありますが、
いったん拍動消失したあと、
さらに30mmHg加圧して
圧を抜きながら最初に橈骨動脈が触れた
ところが収縮期血圧となります。
また、血圧計もなにもなく、橈骨動脈に
触れただけで80mmHgという収縮期血圧
を察知します
心臓が収縮したときに動脈にかかる圧
で心臓(の収縮力)を
みているのですが
またその表現としては
比重の高い、重い水銀をどれだけ高く挙げ
れるかというmmHgということになります
腎肝倶沈.何以別之.
然.
牢而長者.肝也.按之濡.擧指來實者.腎也.
橈骨動脈を「沈める」≒マンシェットでの拍動消失
ととらえると、橈骨動脈に圧をかけていって
圧をかけていったときになかなか消失しない
感じ、向こうに牛がいる、牢而長者
を肝の脈としたのでは、
(https://ameblo.jp/gentlee/entry-12509446123.html参照)
とすると
マンシェットで拍動消失するかしないか
牛が消えるか消えないか〜消えたポイント
はその人の橈骨動脈の
拍動消失するぐらいの
圧ポイント≒肝の脈
肝の脈をみるとはどのくらいの圧で脈がきえ
る、抑え込めるかをみているとも
いえるのではないでしょうか?
腎も肝も沈というのは
マンシェットで
圧をかけてゆくのと似ている
のでは?
では拍動消失するくらいの圧を
肝の脈とすると腎の脈は
どうなるでしょうか?
腎肝倶沈.何以別之.
然.
牢而長者.肝也.按之濡.擧指來實者.腎也.
完全に拍動消失するというのは
水の遮断になり、そうすると
その肝の脈に対して、
「按之濡」というのは
脈を潰さない、ととれませんか?
そして圧を潰さないように
指を挙げて圧を下げてゆく
そして
擧指來實者.腎也.
ちょっとここはコロトコフ音がきこえた
ところで収縮期血圧決定ににてますが、
音波ではなく
押さえた指を挙げて
圧を下げていって「来実」とは
一体どうかんがえたらよいでしょうか?
まず挙げるわけですから
上⬆と⬇下の空間意識であること
そして
「実」は植物の種や中身とかの意でかたい
とかしっかりしてるとか
いわゆる肝の脈では「牢」して「長」で
牢屋から出てこようとする
そとがわへ逃げ出そうとする力を
みているわけで(肝の発陳)
腎の脈の場合は
上⬆と中を意識
しているのでは?
脈の中への方向は塩やアルブミン
水を集める方向
バゾプレシンや膠質浸透圧と
水を↑上に挙げる圧≒収縮期血圧を
みているともいえるのでは
ないでしょうか?
難経4その③ 滝の逆流としての腎の脈
腎肝倶沈.何以別之.
然.
牢而長者.肝也.按之濡.擧指來實者.腎也.
腎の脈は濡れているのですね
濡れ具合にその人の腎の力が決まってきます
そして沈めた指を挙げたときの
下から上へ水のあがる力
を腎の脈とみています